ドラマで見る「カルテ」の重み:日本の医療記録制度と看護師の記録義務・役割
ドラマのワンシーン、あなたの「記録」はどこに繋がる?
医療ドラマを見ていると、医師や看護師が真剣な顔でカルテを読んだり、急いで書き込んだりするシーンがよく登場します。「あの患者さんのデータは?」「前回の治療経過は?」といったやり取りも、カルテや記録があってこそ成り立ちます。ドラマの中では、必要な情報が瞬時に手に入り、それが患者さんの命を救う鍵となるように描かれることも少なくありません。
しかし、実際の医療現場では、記録はもう少し複雑で、日々の業務の中で多くの時間と労力を費やす作業です。紙のカルテから電子カルテへの移行も進みましたが、情報の検索一つとっても、ドラマのようにスムーズにいかないこともあるのが現実ではないでしょうか。
なぜ、私たちの医療現場ではこれほど記録が重要視されるのでしょうか。そして、看護師である私たちには、どのような記録の義務があり、それが日本の医療制度の中でどう位置づけられているのでしょうか。今回は、医療ドラマの「カルテ」というフックから、日本の医療記録制度のリアルに迫り、皆さんの日々の業務と制度の繋がりを考えてみたいと思います。
ドラマと現実の「記録」:見えにくい制度の存在
医療ドラマで描かれる「記録」は、ストーリー展開の上で重要な役割を果たしますが、その背景にある「制度」の側面まで詳細に描かれることは多くありません。
例えば、 * 医師が患者さんの病状や治療方針をカルテに記載するシーン。 * 看護師がバイタルサインやケアの内容を看護記録に書き込むシーン。 * 過去の記録を遡って、病気の原因や経過のヒントを見つけ出すシーン。 * あるいは、記録の不備が原因でトラブルが発生するシーン。
これらの描写は、情報共有や経過把握といった記録の基本的な役割を示しています。しかし、なぜこれらの記録が義務付けられているのか、どのようなルールに基づいて記載されているのか、といった制度的な部分は、ドラマでは省略されがちです。
現実の日本の医療現場では、医療記録を作成することは、医師や看護師をはじめとする医療従事者に課せられた法的な義務です。単なる情報伝達のツールというだけでなく、医療の質の保証、安全の確保、患者さんへの説明責任、そして医療に関する紛争が生じた際の重要な証拠としての役割も担っています。ドラマの緊迫したシーンの裏側には、こうした制度に裏打ちされた記録の重要性が存在しているのです。
なぜ記録は義務なの?日本の医療記録制度を深掘り
日本の医療記録制度は、いくつかの法律に基づいています。中心となるのは、医師に診療録(カルテ)の作成・保存を義務付ける医師法です。
- 医師法第24条: 医師は、診療をしたときは遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない、と定めています。そして、この診療録を5年間保存することも義務付けています。
では、看護師の記録はどうでしょうか。
- 保健師助産師看護師法(保助看法): この法律自体には、医師法のように直接的な看護記録の作成義務を明確に定めた条文はありません。しかし、看護師は診療の補助や療養上の世話を行うにあたり、チーム医療の一員として医師や他の医療従事者と適切に連携し、安全な医療を提供することが求められています。この連携や安全確保のためには、自身の行った看護行為や患者さんの状態変化などを正確に記録することが不可欠です。これは、看護師の業務遂行上の責任として、広く認識されています。また、医療法に基づく病院の管理運営基準や、各医療機関の院内規定によっても、看護記録の作成が義務付けられている場合がほとんどです。
- 医療法: 医療法は、病院などの医療機関の機能や管理運営に関する基本的なルールを定めています。安全管理や情報提供に関する規定があり、これらを遂行する上で適切な医療記録の整備は不可欠です。
これらの法律や関連する通知・ガイドライン、そして院内規定が一体となって、日本の医療における記録の重要性と、医療従事者の記録義務を形作っています。記録は、単に患者さんの状態をメモするだけでなく、
- 情報共有: 多職種チームが共通認識を持つ基盤
- 医療の継続性: 次の担当者や将来の医療への引き継ぎ
- 安全確保: 事故防止やインシデント発生時の原因究明
- 説明責任: 患者さんやご家族への説明の根拠
- 診療報酬請求: 実施した医療行為の証明
- 教育・研究: 症例検討や統計分析
といった多岐にわたる目的を持っています。
特に、看護師の記録は、患者さんの生活全体やケアに対する反応など、医師の診療録だけでは捉えきれない、患者さんを「全体としてみる」ための重要な情報を含んでいます。SOAP(Subjective, Objective, Assessment, Plan)やPOS(Problem Oriented System)といった記録方式は、看護過程に沿って論理的に情報を整理し、質の高い看護を提供するための思考プロセスを可視化するツールでもあります。
紙から電子へ:記録媒体の変遷と課題
かつて医療記録は紙が主流でしたが、近年は電子カルテの導入が進んでいます。これは、IT技術の発展に加え、記録の検索・共有の効率化、省スペース化、遠隔地との連携(地域医療連携)、国の医療費適正化や医療情報の標準化推進といった政策的な背景もあります。
厚生労働省の調査によると、一般病院における電子カルテの普及率は年々上昇しており、2020年には5割を超えました。しかし、診療所を含めるとまだ完全に普及したとは言えず、また、システム間の互換性がない、操作性が医療現場のニーズに合わない、導入・維持コストが高い、サイバー攻撃などのセキュリティリスク、災害時の対応といった課題も依然として存在します。
看護師の皆さんにとっては、紙から電子への移行は大きな変化だったはずです。手書きの自由さから、定型入力やプルダウン選択、フリック入力など、システムに合わせた入力方法への変化。情報の検索は容易になった反面、システムによっては必要な情報にたどり着くまでに操作が煩雑だったり、入力項目が多すぎて記録に時間がかかったりすることもあるかもしれません。電子カルテは便利であると同時に、新たなスキルや対応力が求められるツールでもあるのです。
国は、電子カルテ情報の標準化や、マイナンバーカードを活用した医療情報連携(全国医療情報ネットワーク)の構築を進めており、将来的には異なる医療機関でも患者さんの同意のもとで医療情報を共有できる仕組みを目指しています。
記録の未来と看護師の役割
医療記録は、今後も進化を続けるでしょう。電子カルテの利便性はさらに向上し、AIによる入力支援や、患者さんが自身の医療情報(PHR: Personal Health Record)を管理・活用できる仕組みも広がっていく可能性があります。
このような変化の中で、看護師の記録の役割はどう変わっていくでしょうか。記録業務自体が効率化される一方で、看護師にしか収集できない患者さんのきめ細やかな情報や、ケアに対する生の声といった、質の高い記録の重要性はますます高まるでしょう。システムを使いこなすスキルはもちろん、患者さんの状態を正確に観察・判断し、それを誰にでも分かりやすく、かつ簡潔に表現する記録の「質」を高める能力がより重要になります。
皆さんの日々の記録は、単なるルーチンワークではありません。それは、患者さんの安全を守り、チーム医療を円滑にし、自身の看護の質を保証するだけでなく、将来の医療の発展にも貢献する、専門職としての重要な責務であり、スキルなのです。
結論:日々の記録が医療を支える
医療ドラマでは、派手な手術や診断のシーンに注目が集まりがちですが、その裏側には、医師、看護師、薬剤師、技師など、あらゆる医療従事者が日々積み重ねる地道な「記録」が存在します。
あなたが業務の終わりにパソコンに向かい、あるいは紙の記録用紙にペンを走らせるその時間は、日本の医療制度によって定められた義務であり、同時に、安全で質の高い医療を次につなげるための非常に価値のある行為です。記録は、過去から現在、そして未来へと続く医療のバトンであり、あなたの専門性を示す証でもあります。
日々の業務に追われる中で、記録作業が負担に感じられることもあるかもしれません。しかし、あなたが書く一つ一つの記録が、チームの誰かを助け、患者さんの安全を守り、より良い医療へと繋がっている。その重要性を改めて認識することで、記録への向き合い方も少し変わるのではないでしょうか。あなたの「記録する力」は、日本の医療を支える大切な力なのです。